ANAのマイルでニューヨーク旅行計画

クレジットカードやポイントサイトで貯めたポイントはANAマイルに交換、長距離の国際線ファーストクラスやビジネスクラスで使う方針でやっています。初ビジネスクラスは2002年ロサンゼルス行き。ポイントサイトの活用は2016年春からで、まだまだ初心者です。いろいろ教えてください。

1945年の8月6日、広島

今日は8月6日、広島に住む私にとって特別な日です。

私自身は戦争を知らない世代ですが、父は4歳で爆心地から7キロの自宅にいました。

 

祖父母は2人とも私や弟が生まれた頃に入れ替わるように亡くなったので、当時の話は父が祖父母に聞いた、その話を私が聞いたという感じです。

 

8時15分、

家中のガラスが割れたそうです。

 

父がいつも朝、1人で遊んでいたのはガラス張りのサンルームで、祖父母は粉々になったガラスが積み上がった部屋に駆けつけて、4歳の父がその下で死んだと思ったそうです。

 

でも、私はちゃんと生まれて来ました。

 

父は原爆が落ちる前の空襲警報を聞いたのかな?

自宅の裏に防空壕があったのですが、そこに1人トコトコ入ってしゃがんでたそうです。後で探しに来た祖父母に発見されたとのこと!

(2017.08.14追記:昨日ニュース番組の特集で、警報が鳴ったのは7時過ぎで7時半ごろ解除されて、のちに8時15分原爆投下までは何もなかったとのこと。4歳児が一人で1時間くらい防空壕に籠っていたことになります。何か面白いことがあって遊んでたんでしょうね(;''∀''))

 

そこの防空壕は自宅の庭の裏山に少し登ったところにくぼみがあり、私の小さい頃はもう中は埋まっていて、入り口だけ名残がありました。

弟と登って遊んでいたけど、斜面は砂が砂丘のようにサラサラで生き埋めになったら危ないと、上がっては叱られる毎日でした。親が出かけて留守番していたときは必ずといっていいほど登ってましたね(悪ガキ)

 

私の父は末っ子で自由に気ままに生きてきまして、その後も数々、小さい頃の武勇伝があり、

「よく生きてたな!」

と思うことばかりです。

 

大切な命のバトン、と相田みつを先生のカレンダーにも書いてますけど、我が家の場合は単なる運?(笑)

いや、我が家たけじゃなく、今生きている人全てが、いま存在しているかどうかなんて紙一重ですね。

途絶えずに続いているって事は、誰もが凄い運の持ち主なんだなと思います。

 

お墓まいりすれば1番古いものは天保年間の嘉平次さん。

父、祖父、ひいおじいちゃんみたいに好奇心いっぱいのあっちこっち行ってみたい人だったのかな?と気になります。

(ひいおじいちゃんは台湾に移住しそこで没)

でも今よりもっと大変な時代をどう生きてきたのか、、?

 

そうかと思えば、伯母のお姉さん(当時中学生)、父のいとこで私のメル友でもある93歳のおじさんの弟さん(当時中学生)は原爆で亡くなり、子孫を残すことも、自分自身の続きの人生も生きることなく。。

話を聞くとお二人の最後は悲惨そのものです。

大叔父様が90歳を超えて今でもアメリカを恨んでいるというのは、痛いほどわかります。。

 

ニューヨークに行った時、国連内部の見学ツアーに参加し、原爆の展示も見ましたが、当時の様子が伝わるようなものはほとんどありませんでした。

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残念な気持ちになった事を覚えてます。今年行けたらもう一度国連に行こうかなって思ってますが、内容は変わっているのでしょうか?