2020年1月19日、女優の原知佐子さんが亡くなられました。
ご冥福をお祈りいたします。
私は昨年までなら原さんのお名前を見てもおそらく今回の訃報のニュースに目が留まらなかったかなと思います。
活躍された履歴を見て、百恵ちゃんをいじめてた「赤いシリーズ」の女優さん、くらいのイメージで。
しかし現在ロサンゼルスに在住されている、かつて米国在住していた母の古い友人Fumiさんから昨年いただいたお手紙で原さんのお名前を知りました。
お手紙には今年の東京オリンピックに寄せるFumiさんのいろいろな思いが書いてありました。
その中で、かつて開催された1964年の前回東京オリンピックのときにはじめてヨーロッパ旅行をされたことと、32日間の周遊の中で、パリまでは原知佐子さんと同室だったことがつづられていました。
原さんは高知県の出身だったのは有名ですが、お母様は和裁の先生だったそうです。
この旅行ですが、各国の選手が日本に向けて乗ってきた飛行機に乗って欧州に飛ぶツアーということで、日本の団体客を募ったそうです。
Fumiさんが参加されたのは日本自動車連盟(JAF)会員150名のチャーター便で羽田からまずフランクフルトへ飛び、到着時、半分はレンタカー、残りは2台の大型バスで移動となり、ヨーロッパ各国を周遊し、バスには現地のガイドさんが乗ったそうです。
Fumiさんはそこで通訳もされたとのこと。
パリで原さんは岸恵子さんと会うために団体旅行から離脱されたそうです。
岸恵子さんは当時から日本とフランスを行き来されていた有名な女優さんですが同年代の方だったんですね。
現代のように、オリンピックのような国際大会がなくても毎日たくさんの飛行機が日本から海外へ行き来する時代、選手団を乗せた飛行機が復路空席になる心配はないと思いますが、昔はオリンピックのおかげで通常よりお安い海外旅行ツアーなどあったんですね。
興味深いお手紙で、半年前にいただいたものでしたが改めて読み返してみました。
ちなみに私の父は東京オリンピックの4年前、10代のころに欧州へ行っていますが、その当時はプロペラ機で、経由地で給油しつつ、ローマで降りたときは日本を出発してから24時間たっていたそうです。
東京オリンピックのころの飛行機の写真を見ると、1960年代はジェット機の写真が多いので、航空機材もこの時代は過渡期にあったのかもしれません。